原作:スティーブン・E・キング、監督:スタンリー・キューブリックの有名な作品。
製作は1980年。
世評は極めて高い作品。
冬には陸の孤島となるコロラド山中の豪華ホテル。そこは曰く付きのホテルだった。
冬期管理人となったジャック・トランスは次第に……
彼の妻と息子は助かるのか?
主役のジャック・トランスにはジャック・ニコルソンを配し、妻のウェンディはシェリー・デュヴァルが演じている。息子ダニー役にはダニー・ロイド。
三人ともに、すばらしい演技を見せてくれる。
世評は高い作品だが、原作者スティーブン・E・キングが
「空っぽのキャディラック」(エンジンのないキャディラック)と酷評していることは有名だ。
(ちなみに
TV版シャイニングではキング自身、脚本・助監督として参加している)
もちろんキングは、自作をキャディラックと評するほど傲慢な人間というわけではなく、ここで
「キャディラック」とは映画作品の映像美を指しているものと思われる。
確かに、シンメトリー(左右対称)な映像を所々に挿入しながらの独特な映像美は、キューブリックならではといえそうだ。
一般的評価が高いのも、頷けなくはない。
ところで本作品、反対意見を提出しているのは原作者のキングばかりではなかったりする。
実はホラーファン、キューブリックファンからも、ときおり悪評が漏れてくる。
「怖くない」「ホラーが分かってない」(ホラーファン)
「キューブリックとしては駄作の部類」(キューブリックファン)
といった具合だ。
私もこの作品は、キューブリックとしては駄作だと思う。
本来キューブリックは、斜に構えたひねくれっぷりを楽しむのが筋だろう。
そうした作品例として、「博士の異常な愛情」を筆頭に、「時計じかけのオレンジ」を挙げることが出来る。
実は「2001年宇宙の旅」も密かにひねくれている節はある。
そういう意味で、キューブリックは原作があるとダメ。
「ロリータ」も、キューブリックファンなら駄作と断じるべきだ。
ひねくれぶりが発揮できない作品では、キューブリックの面白味は半減する。
ホラーの観点からも、いいとはいえない。
確か、明治頃の作家の田山花袋あたりが言ったように憶えているのだが、小説の文章には「説明」、「描写的説明」、「説明的描写」、「描写」の四種類があって、そのなかで「描写」が最も価値が高いのだ、というようなことを言っているはずである。
その説の是非は別論として、キューブリックが説明嫌いなのは間違いない。
(キューブリック自身も、別の言葉でだが、そう言っている)
ホラーというのは未知の物に対する恐怖であって、説明できない物に対する恐怖だ。
それは、説明しようという態度がまずあって、それでもどうにも説明がつきそうにないときに生まれる感情である。
キューブリックは「ホラーが分かっていない」のではない。
元来がホラーではあり得ないというだけの話である。
キューブリックには、主人公ジャック・トランスを「克明に説明する」ことはできない。
そこに恐怖の源泉があるのが分かって、なお出来ないのがキューブリックだ。
世評の高さは映像美だ。
その点は頷ける。
しかし、私としては「空っぽのキャディラック」というキングの評に賛成したい。